旧名を講孟箚記(こうもうさっき)と言います。
幕末の思想家の吉田松陰が書かれた本書ですが、前に僕がおススメしたビジネス書TOP10の1位に吉田松陰語録の超訳「覚悟の磨き方」という本書を紹介していました。
だけど、恥ずかしながら吉田松陰の著書を読んでないという…
その為、現代語訳版「講孟余話 吉田松陰かく語りき」を読破しました。
結論から言えば、超ポジティブ思考になれ志を高めれる1冊であります。
高い志を学べるので、ご紹介していきます(国体や政治といったところは省いています…ひっくるめて自分の学びとして落としこんでいます)。
本書の要約
時代は江戸時代末期、ペリーの黒船来航から国家の憂いを解消するべく海外に目を向け…
アメリカに密航しようとして失敗になり、
自主をして捕まり、投獄された野山獄で居合わせた囚人たちに中国の思想家である孟子(性善説「人は元々善人として生まれるが、成長とともに善を忘れ、悪にそまるがまた、善人に戻れること」をとなえた)の講義録であります。
すべては初一念が決める
純粋な心で「正しい生き方」を求めて学問をしている人は上等ですが、
「自分の名誉と利益」を求めて学問をしている人は、下等です。
講孟余話 吉田松陰かく語りきより
僕は、本書を読んで下心が浮かびました。
このブログも役に立つブログであればいいと概念を忘れて、名誉や利益だけに走れば、吉田松陰のいうように下等です。
みずからの心のうちをかえりみて、振り返って間違っていたなら正していく。
正しい生き方とは、素直に学び自分を生きるということだと思いました。
存在意義を見出す為にも学び続けてアップデートしていきます。
初一念が揺らいだら振り返ってやり直せばいいのですからね。
「狂者」を待ち望む心
今も昔も、さまざまな人の中でも、もっとも優れている「中庸の人」(過不足ない人)が、容易に見つからないのは同じことです。
ですから今、孔子・孟子の正しい教えを興隆させるためには、孔子が「中庸の人」につぐものとして位置付けている「狂者」(理想は高いが、実行がともなわない人)によって、その教えを興隆させなければなりません。
講孟余話 吉田松陰かく語りきより
本書と古代ギリシャの哲学者アリストテレスと通じるのが、中庸です。
善と悪
相反する間とはなにかと言われたら「中庸」(厳密には中間はなくどちらかに寄るとされてますが…)
吉田松陰がとなえたのは、「中庸」はなかなかいないから「狂者」に教えて、「中庸」にしていくという内容です。
まさに本書が囚人に向けて講義をした話なので、確かにと思いました。
僕自身も、狂者なのかと思います。
実力は足りませんが、せっかく生まれたのですから、狂うぐらいに生きて楽しむのがいいんじゃないでしょうか
何かに夢中になるのもいいですね。
神さまに媚びるな!
「不運」や「幸運」は天から降りてくるのではなく、神から出てくるものでもありません。
いずれも、自分がそれを求めた結果、得たものなのです。
この道理を理解できている人々だけが、はじめて「正しい生き方」の入り口に、ともに手を取って立つことができます。
この道理が理解できない人々は、いたずらに天の神、地の神、死者の魂などに媚びへつらうばかりで、自分のなすべきことを、ちゃんとしません。
それこそ「幸運を拒んで、不幸を求める」ような愚かなことで、無教養な人々は、すべてそのようなことばかりしています。
まことに憐れむべきことです。
公孫丑 上・第四章より
本書の中に孟子の公孫丑の一説があり、絡めて学びがありました。
最初の学びの「すべては初一念が決める」から「正しい生き方」について
僕が感じたのは、「何事も志を持ってポジティブに生きていくこと」が大切であると思いました。
何か(神様なり人なり)依存していくことは停滞の始まりだと思いました。
だからこそ、自分が動いて得た結果が自分の資産であり、財産です。
そこに目を向けて前進していきます。
まとめ
本書から高い志と前向きに生きるすべを学びました。
当時の時代背景を考えたら異端児であった吉田松陰ですが、
国を憂う気持ちといった1つのことに熱中し尽力した結果、松陰は安政の大獄にて斬首刑に処され30歳にて生涯をとじました…
しかし、志を継ぐ弟子たちによって、倒幕され、志が成し遂げられました。
そこから本書の学びは、生きる意義や学ぶ大切さ、行動を起こすことといった人生の意義を考えさせられる1冊でした。
ドイツの宰相であったビスマルクも「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」とあります。
僕自身、まだまだ至らぬものではありますが、生きている限り学び続けていきます。
【備考】心に刺さる吉田松陰語録
- 立志尚特異 (志を立てるためには人と異なることを恐れてはならない)
- 俗流與議難 (世俗の意見に惑わされてもいけない)
- 不思身後業 (死んだ後の業苦を思い煩うな)
- 且偸目前安 (目先の安楽は一時しのぎと知れ)
- 百年一瞬耳 (百年の時は一瞬に過ぎない)
- 君子勿素餐 (君たちはどうかいたずらに時を過ごすことなかれ)
- 至誠にして動かざる者は未だこれ有らざるなり(本当の誠実さを持ちながら行動を伴わない人はいない、本物の誠実さがあるというのであれば、行動しなさい)
まさに行動することが大事だと教わりました。
僕自身も吉田松陰のように行動し続けます!